プロフィール ゴッホの伝記との出会い。美術の世界に異常なまでの興味を持ったのは9歳の時である。近くして父が購入した油絵具をきっかけに、土・日曜日に早朝より油絵を描く事に没頭し、日没にも気づかず暗い部屋の中で絵を描く日々を過ごす児童であった。15歳には美術の道で生計と決意していたが、両親の意向もあり高校は普通科へ進学。高校へ通いながら夜は美術大学進学予備校へ通う3年間を過ごす。東京藝術大学への進学を想いに浪人時代を向える。二浪目の入試間際に「表現」について考えをまとめ、デザイン専攻に藝大。油絵専攻に多摩美術大学を選び、多摩美術大学へ進学をする。大学では油絵を殆ど描かず、立体オブジェ等を制作し、1988年にパルコ主催「オブジェ東京展」にて審査委員賞を受賞。その後、年に1度はワコール銀座アートスペースで個展を開催。その他グループ展やコンペにて入選・入賞。多摩美術大学卒業と同時に、美術大学受験の予備校講師や高校の美術講師を兼務し創作活動を続け、電通やADKなどに広告撮影用のオブジェを提供。 当時学んだデザイン業務を生かし、1994年に中嶋デザイン事務所を創業。官民問わず、広告やリーフレット、会社案内、パッケージを中心にデザインを受注。代表作として、日光世界遺産カレンダー(日光観光協会)、愛知万博用埼玉県PRパネル(埼玉県)、ヘッダー付リーフ型パッケージを開発し意匠登録。時代の流れに反映し、WEBサイト制作も受注開始。企業サイト、オンラインショップ等を手がける。2008年〜2011年、某市委託事業にてデザインディレクションならびに制作を手がけ、町おこし事業にも従事する。 しかし、2003年頃まで事業は非常に順調であったが突如、官公庁の経費削減の影響や日本経済の低迷の影響を受け、急激な受注減の試練を受ける。2007年に、日本に多大なる影響を与えた人物の三世代目の男と出会う事となる。彼が主催する交流会の世話人を任されその後、経営者懇談会の事務局長を拝命。志高き経営者や著名人との関りの中で、本来の自分を取り戻す事となった。近年、経営者懇談会で学んだ「人間力」をマッチングさせ、デザインコンサルやデザインのセカンドオピニオンとしても業務を広げ、上場企業をはじめ、経営者から大学教授などの夢実現に至るまでをディレクションしている。 2015年5月1日より屋号を変更し、「デザインヒットタワー」として活動を行い、2020年4月に創業26年を向える事となる。 また、2007年にデザイン業務で培った制作プロセスと予備校講師で培った指導力を生かし、幼児教育事業を開始。小学校受験絵画に特化した絵画教室を設置。慶應幼稚舎、早稲田実業初等科、学習院初等科、青山学院初等部をはじめ、難関伝統校への合格を導き実績を得ている。 ラジオ出演:「石原良純のピーカン子育て日和」(ニッポン放送) |